2021年5月7日金曜日

安徳女帝 10

  エキサイトブログからのつづき

 安徳天皇はまだ子供のままであるとされていたため、大人たちの醜い争いごとからは遠ざけようとする配慮が感じられたし、神功皇后までが混ざり込んできたのは、仕組み潰しの実態が現れるのを防ぐためでもあったのだろう。
 安徳天皇の場合は佐田がらみになると本体が現れるので、その時は七十五才の老婆になるとされており、政争の実態を見極めようとする姿勢が現れていた。というよりも自分を歪めた藤原族が処刑されるのを見たがって、処刑場に入り込もうとばかりしていたらしい。
 しかし佐田の側ではそうした怨念の渦から引き出して、本来の自己確立をしてもらわなければ仕組み的には無意味なので、過去の政争の確認をすることはあまりなかった。というよりも処刑執行の現場までは、異次元なので対応しきれないということでもあった。そして結局安徳女帝は親たちの処刑を見ることなく、親たちは帰されたのであった。そちらにはそちらの問題があったからである。

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