2020年11月18日水曜日

ジャンヌ・ダークの秘密 13

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 流刑地の研修会館の宿舎での一日目の朝のこと、四時半に起こされて五時から仕事をすることになったのであるが、ジャンヌは何もできないので、荷物運びをさせられていた。そういうことをさせられると田舎のことを思い出すらしくて、とりあえずはおとなしく従っていたようだった。
 そして午前中は勉強会をしなくてはならず、日本語の読み書きから始められたのだった。佐田の本は聖女の時に読んでもらって知っていたらしく、今度は自力で読めるようにしなくてはならなかった。小学生レベルの一般教養も必要であるらしかったが、仕組みに対する理解を深めるためには、佐田の著述は必修だったからである。
 そして午後からは富士山忍野の研修会館で調整することになっていた。とにかく汚いので、最初に来た時に滝に入れられたらしかった。朝方の調整にも入れられていたが、ジャンヌが拒絶したので水行に代えられた。水行のほうは天国でもやっていて慣れていたとのことで。
 懇談会、瞑想などの研修がなされていったが、三時以降は仕組み宇宙の公式行事に参加させられることとなり、そちらで金柑グループと共に色地獄調整に参加する段取りとなっていった。
 
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2020年11月15日日曜日

建礼門院の実態 3--4

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建礼門院の実態 3

 矢継ぎ早に展開する建礼門院の問題に関しては、こちらは半信半疑のまましばらく様子をうかがうしかなかった。そしてその後の展開を追っていったのであるが、金柑やジャンヌのことが重なって、かなりの混乱を覚悟しなくてはならなかった。
 大和の天皇家のからみもあり、相当豪華な顔ぶれが集められていたようであったが、三日三晩の大祝宴会は確認作業を終えたその日の十二時から始められたのであった。かなり早い展開なので、こちらは何が起こっているかの確認をしなくてはならなかったが、そんなことにはおかまいなく、事はどんどん進行していったのであった。
 伏魔殿の演技であるのなら、そのうち化けの皮が剥げるだろうから、そのまましばらく流れに任せておくしかないとあきらめて、仕組みが壊されることのないように用心しながら、こちらは対応し続けていったのであった。ジャンヌ・ダークの大問題が始まったばかりだし、金柑の問題もあったのだけれども、どうしようもなく押し流されていくしかない状態であった。

建礼門院の実態 4

 その日の二十時に富士山忍野の宴会を終えたとき、建礼門院組の仕組みメンバーは五十名がそろっていた。五十名とは、女二十五名、男二十五名、建礼門院と高倉天皇を含めての五十名であった。金柑のときも、ジャンヌ・ダークの場合も、同じような展開になって進行していくので、その三派はやはりセットとして動いていくものなのだろう、と推測するしかなかった。
 二十時半に最初の宴会が終わると、今度は京都御所の天皇家の宴会へと進んでいった。常日頃高倉天皇がおられるところなのだという。そこでの挨拶回りの軽い宴会が六日の午前二時半で終わると、建礼門院の方は本拠地の山口県の赤間神宮へ帰り、就寝されたのであった。午前三時のことであった。
 三日三晩の大祝宴会とよく言われるが、こちらの場合は一か所で行われる宴会とは違って、あちこちを巡っての挨拶回りであるとのこと。何か、どこかが違うという思いがこちらに湧いてき始めていた。五十名というのは男と女のバラケの分身分体ではないかと考えられるので、そのことの調整もこちらの課題になるのであった。

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2020年11月6日金曜日

ジャンヌ・ダークの秘密 6

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 太陽に上がってしがみついてくるジャンヌを、どうすればいいのかこちらにもよくわからないので、あちらの担当者方におまかせしていると、マリコ(マグダラのマリア)やマリア・カラスさんまでがやってきて、いろいろ問答したり説得したりしていたらしかった。頑固で言うことを聞かないので、マリコが何度もひっぱたいたりしていた。

 結局誰の言うことも聞かずに、佐田さんでなければ駄目だと言い張ってやまないので、こちらが対応することになっていった。公式行事の真っ最中だったので、特別の時間を取ってこれからどうしたいのかと聞いたところ、わからないという。カリストに帰る気はないということだったし、佐田でなければ信用できないと言い張るので、それなら富士山に研修所があるから、そちらで相談しましょうということになった。そして異次元の忍野神社に隣接している研修所に降りてきてもらったのであった。

 その時にジャンヌには仲間が五十名いることが判明したのであるが、金柑組やアメリア組たちとの調整で、今後のことに対しての相談がなされたのであった。

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