2021年5月31日月曜日

建礼門院の実態 25

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 正常化できない建礼門院は、悪あがきして神社やお寺、内宮にもいられなくなり、生活に困り始め、富士山の佐田の領域で何とかしようとしても、奴隷監獄から流刑地へ降ろされてしまう。流刑地では男安徳に嫌われて追い出されるため、宇宙監獄に入るしかないのだという。
 それが嫌ならガニメデの色地獄で暮らすしかなく、そこではそこで仕組み潰しの三派によるせめぎ合い、それも耐えられなくなり始めているとのこと。高倉天皇が心配して調整しようとしても、きつくなるために嫌がって逃げ惑うということになるらしく、どうしていいのかわからなくなって藤原一族の元へ行こうとしても、安徳セットに影響が行くために戦いになるのだという。
 大元とハゲ元の戦い、そればかりではなく元宇宙のサッチャーを交えての三派の戦いになってしまうとのこと。サッチャーさんは後任であるらしく、前任者は高倉天皇の側女の方であったらしい。高倉天皇がちょっかいを出したときに離れて、ニブツヒメの魔神が現れたため、サッチャーさんを当ててそれを隠したということのようである。

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2021年5月24日月曜日

ジャンヌ・ダークの秘密 26

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 大元宇宙の元親の代表セットに関しての情報であるが、ソロモンセットがどうなっているかの確認をしなくてはなるまい。ソロモンは大元の宇宙公園にいて、銅像にされてしまうわけであるが、周りがうごめくためにほどけてしまってうろうろしていることが多いとのことである。マレーネ・デートリッヒのご両親がその代理親で、元親のソロモンとそのセット女にちょっかいを出すこともその原因の一つらしい。
 ソロモンのセット女はユダヤ教のシナゴーグではなく、イスラエルのキリスト教の教会に居座って動こうとはしなかったのであるが、ここに来て様子が変わってきている。ソロモンとのセットであることは次第に受け入れ始めていたらしいけれども、大元のユダヤよりも元宇宙のキリスト教のほうがいいとがんばっていたのである。
 三派抱き合わせの封じ込めによってそうさせられていたのではあろうが、最近の仕組み三派の調整が厳しくなり続けている流れを受けて、少しずつその封じ込めが解けていったのであろう、現段階ではソロモンを受け入れて宇宙公園に昇っていくとのことである。もっともまだキリスト教から抜け出せないとのことではあるが。

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2021年5月15日土曜日

被官ひとり大神の稲荷神行 72

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 三十六番 大山

 謹みまして申し上げます。
 大山に被官ひとり大神お出ましになられまして、稲荷神行のお務めをいただきました。お立ち会い致しました、十神界でございます。
 被官ひとり大神私共のもとにご挨拶に来られまして、大山の素晴らしさを讃えられました。私共は申し上げました。ご神行を事前に致しまして、周りのさまざまを感じることができまするは、余裕ができましたる証(あかし)にございます。すると被官ひとり大神確かに初めの頃は、お出迎えいただきましたさまざまにさえもおびえるほどでございました。しばし語りおいまして御神座へとお進みいただきました。集おておりました皆にご挨拶致しまして、御神座にお定まりなられました。
 ご神行に入られます正礼深く致しまして、ご自神の調整致しまして、祈り深めてゆかれました。祈り深めますほどに生じますみ光変化重ねまして、大山に稲荷神行成就致しました。証(あかし)の極みのみ光生じました。ご確認致しまして、ご報告申し上げます。
                        十神界
 佐田靖治御大師
                  神行日 令和三年五月十三日

                      仲介者 小野恵里子
                      審判者 佐田靖治

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2021年5月7日金曜日

安徳女帝 10

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 安徳天皇はまだ子供のままであるとされていたため、大人たちの醜い争いごとからは遠ざけようとする配慮が感じられたし、神功皇后までが混ざり込んできたのは、仕組み潰しの実態が現れるのを防ぐためでもあったのだろう。
 安徳天皇の場合は佐田がらみになると本体が現れるので、その時は七十五才の老婆になるとされており、政争の実態を見極めようとする姿勢が現れていた。というよりも自分を歪めた藤原族が処刑されるのを見たがって、処刑場に入り込もうとばかりしていたらしい。
 しかし佐田の側ではそうした怨念の渦から引き出して、本来の自己確立をしてもらわなければ仕組み的には無意味なので、過去の政争の確認をすることはあまりなかった。というよりも処刑執行の現場までは、異次元なので対応しきれないということでもあった。そして結局安徳女帝は親たちの処刑を見ることなく、親たちは帰されたのであった。そちらにはそちらの問題があったからである。

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