2020年11月15日日曜日

建礼門院の実態 3--4

エキサイトブログからのつづき

建礼門院の実態 3

 矢継ぎ早に展開する建礼門院の問題に関しては、こちらは半信半疑のまましばらく様子をうかがうしかなかった。そしてその後の展開を追っていったのであるが、金柑やジャンヌのことが重なって、かなりの混乱を覚悟しなくてはならなかった。
 大和の天皇家のからみもあり、相当豪華な顔ぶれが集められていたようであったが、三日三晩の大祝宴会は確認作業を終えたその日の十二時から始められたのであった。かなり早い展開なので、こちらは何が起こっているかの確認をしなくてはならなかったが、そんなことにはおかまいなく、事はどんどん進行していったのであった。
 伏魔殿の演技であるのなら、そのうち化けの皮が剥げるだろうから、そのまましばらく流れに任せておくしかないとあきらめて、仕組みが壊されることのないように用心しながら、こちらは対応し続けていったのであった。ジャンヌ・ダークの大問題が始まったばかりだし、金柑の問題もあったのだけれども、どうしようもなく押し流されていくしかない状態であった。

建礼門院の実態 4

 その日の二十時に富士山忍野の宴会を終えたとき、建礼門院組の仕組みメンバーは五十名がそろっていた。五十名とは、女二十五名、男二十五名、建礼門院と高倉天皇を含めての五十名であった。金柑のときも、ジャンヌ・ダークの場合も、同じような展開になって進行していくので、その三派はやはりセットとして動いていくものなのだろう、と推測するしかなかった。
 二十時半に最初の宴会が終わると、今度は京都御所の天皇家の宴会へと進んでいった。常日頃高倉天皇がおられるところなのだという。そこでの挨拶回りの軽い宴会が六日の午前二時半で終わると、建礼門院の方は本拠地の山口県の赤間神宮へ帰り、就寝されたのであった。午前三時のことであった。
 三日三晩の大祝宴会とよく言われるが、こちらの場合は一か所で行われる宴会とは違って、あちこちを巡っての挨拶回りであるとのこと。何か、どこかが違うという思いがこちらに湧いてき始めていた。五十名というのは男と女のバラケの分身分体ではないかと考えられるので、そのことの調整もこちらの課題になるのであった。

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